冬至を過ぎて、これ書きたい!ってテーマがいくつか湧いてきてるうちの一つ。
それは自分がどうしたいのか、意思をはっきり表明すること。
まずは自分の意識の中でしっかり決める。
そのあとSNSでつぶやいたり、ブログに書いたり、外側へ表現するのもいい。
とにかく自分がどうしたいか、ってことをはっきり決めて表すことが、めちゃくちゃ今大事、って思いがすごく湧いてくるんだよね。
自分の意思をはっきりさせることが、自分の望む現実を創ることだからだと思う。
これまでの世界、特に日本は戦後、自分の意思をしっかり持つ、ってところをとことん封印するような教育制度になってたけど、
それは、やっぱり日本人に元々意識の力が強い人が多いからなのかなって思う。
いや、意識の力が強いかどうかだけじゃない。意識の強さは他の国の人も同じ。そこだけじゃなくて、全体と調和し、平和を求める気持ちが元々強い。ってところが重要なんだと思う。
だから、今改めて見ると、日本は他の国と比べても抑圧が強くて、徹底的に骨抜きにされてる感がある。
特に中学校くらいから、抑圧が本格的になる気がする。
小学校くらいまではまだ遊びの要素が残ってるけど、
中学校になったとたん、校庭に遊具もなくなって、夕方遅くまで部活させられて、宿題も増やされて、遊ぶ時間がなくなるよう、自由な時間を与えないよう締め付けが厳しくなる。
そして、枠からはみ出すことや、失敗することが怖くなっていって、自分で決められない、何をどうしたらいいのか分からなくなって、
メディアや支配層のコントロールに従順に従う羊ちゃん集団を作り出す仕組みになってたと思う。
ほんと、学校の髪型や服装の意味分からん校則とか、つくづく『理不尽なことにも文句を言わず従わせるための規則』だと思うし。
で、私は今まではそういうことに、特に表立って意義を唱えたりとか、真っ向から戦う、ってことはしなかった。
そうすると結局善と悪、光と闇の戦いごっこになっちゃうしな、と思って。
結局外側に現れてるものは自分自身の内面にあるものだから、
それと戦うってことは自分と戦う、自分自身を分離させてる、ってことだと思うから。
でも、「あ、こうしたらもっといいんじゃないかな?」と思い付いたことがあって、
戦いを挑む、とか、戦うって意識からじゃなく、ただ宇宙に自分の思いを表明していくことが今はすごく大事だ、っていう思いがめちゃくちゃ内側から迸ってきて、止まらない。
どういうことかというと、
誰かに喧嘩を売ったり自分の意見を認めさせようとするわけじゃなく、ただ自分はこう感じている、こう思っているってことを、世界に表していくのは、
自分が創造したい世界を作るために大事な手順の一つなんだと思う。
今までも願ったことが現実になったときは、世界がガラっと変わるのをただ待つだけじゃなくて、
今できる範囲のことで、やりたい!とか、心が躍ることを少しづつしていたら、
ある時ぱっと望んだ現実になる、って感じで叶ってきた。
たとえばリフォームだったら、自分でもできそうな壁紙張り替えたりとか、すごくやりたいな、って気分になったから、ちょくちょく自分で張り替えたり、楽しんでやっていたら、大々的にリフォームできることになったりした。
だからアセンションとか、5次元地球を早く体験したければ、自分の心が躍るようなこと、楽しくてやりたくなるようなこと、無理なく出来る範囲のこと(バンジー飛ぶみたいな極端なことはしなくていい)を、ちょっとづつやっていくのが、すごく大事なんだと思う。
ただ世界が変わるのを待つだけじゃなく、トランプさんが勝つのを待つだけじゃなく。
目の前に見えてる現実は、自分の心のなかが映し出されただけの世界なんだから、
変えたいならいくらでもすぐに自分が好きなように変えられる。
今すぐに!お金もかからない。自分の心は、自分の力で今すぐにどうとでもできるし、一番自由で簡単なことで、そして一番力がある。
これを今までの闇の支配者層は、私たちに気付いて欲しくなかったんだと思う。
私たちが一人一人そのことに気付いて実践し始めたら、もう絶対に自分たちの思い通りにはならないことがよく分かっているからね。
メディアのフェイクニュース見てるとまだ世界は変わってないような気がするかもしれないけど、
あれは私たちの中に残ってる不安や心配が現れてるだけ。
だから、それを見て不安になったら、ただ自分の中にある心配や不安を光で照らして、愛に溶かして、
自分の心の中心にあるセントラルサンに還してあげればいい。
外側にある闇と戦わなくてもいい。外に闇を見たら、自分の内面にある闇を光で溶かして終わりにすればいいだけ。
そして、自分が今やりたいこと、気持ちが高揚することを、できる範囲でやっていくことが、
自分の望むアセンション後の世界を創っていく一歩だと思う(*ˊᵕˋ*)